スライダーズおやじ -2331ページ目

 カレー3日目

昨夜は友人と日本橋方面に呑みに行ってきました。
・・・といっても、なぜかインド料理屋。『クマール パパ』という店です。重めナンは好みではなかったけど、カレーはおいしかったです。すごいわがままに評価をすれば、

|カレー ☆☆☆☆★
|ナン ☆☆★★★
|タンドリチキン ☆☆☆☆☆ (絶品!)
|居心地 ☆☆☆☆★

1階はカウンター席、2階は普通のテーブル、3階はお座敷という、ゆったりとした・・・おりょ、なんで俺がこんな、グルナビみたいな記事を書かなきゃならないんだ。逆に「食が細りました」というのがこのblogの筋のはずなのに(笑)

まあ、とにかく昨日で3日連続でインドカレーを食べたわけですな。カレー好きだし、インドにも2回ほど行った自分としては、毎日カレーでもぜんぜん気になりません。(インドでのカレーは、日本人で言う味噌汁のような頻度です)むしろHAPPY。

ただ、ちょっとこのところ一人で贅沢三昧だなあという感じで、家でつつましやかに暮らす家族に対し、気が引けるというのはあります。
でも、今日仕事がはやく片付けば、友達の舞台を観るため、池袋まで足を伸ばしてみようかななどと考えています。
そこでまたカレー食べたりしてね(笑)

あまり僕は外へ呑みにいくということがない・・・あ、違う。アウトドアで呑む機会は結構あるんだ。屋上とか、公園とかね(笑)
もとい。
飲み屋に行くことが少ないのですが、やっぱり、自宅で呑むより、ピッチが上がりますね。
たまにはいいものです。

久しぶりに結構呑んだので、ルー=ガルーの続きは10ページくらいしか読めませんでした。
あ、そうだ。昨日はうちの会社の昇給月の給料日だったんですが、給料が5年ぶりに(少しですが)アップしました。
下がった人も少なくないという話しなのに、なんか、やる気が出てきたぞ。

さて、今日は金曜日だあ、気合入れて働こう~。

ルー=ガルー ― 忌避すべき狼/京極夏彦

3日前くらいから新しい本に手を出しました。
『ルー=ガルー ― 忌避すべき狼 京極夏彦』ってやつ。
なんか、近所の図書館で細君がジャケ買いならぬ表紙借り?をしたらしい。厚い本なのでまだ半分弱くらいしか読んでません。

この作家の本も初めてなのですが・・・なんか、ある意味、面白いです。
印象としては2200年くらい? ハード的な設定は20世紀中期になってるらしいですが、社会情勢などを考えると矛盾が。まあSFだからいいんですけど、まあとにかく近未来の舞台設定が延々あって、14歳の少女たちがそこでうごめいているという・・・。
まあ、良く言えば星新一みたいな、受け手に任せた楽しみ方もできそう。
ただ、この作家さん、マスタベ系なのかな。僕にとっては普段目にしない漢字の仕様率が高くて、ルビ探しのために戻ったり(!)、舞台設定を確認したりなど、苦労しながら読んでます。

端末のモニターが世界と自分をつなぐ接点になる・・・というのを通り越した時代。モニターが人々の視野になり、また生活の大半になるという設定です。
また、人類は食料の培養?が可能になって、食物連鎖から抜け出しているというのも、かなりすごいっす。

テレビやら雑誌連載やらでしている占いコーナーみたいなものが、脅迫罪にあたるという判決のため廃止されたというあたりは、笑ってしまいました。確かに「O型さん、あなたの今日のラッキーカラーは緑です。運気が下がっていますので・・・」みたいなやつって、神経が過敏な状態の人にとっては厳しいかもですね。まあ、近未来ではそれだけ「情報」ってやつが、個々の主体性の中に侵食しているということなのでしょう。
人々のインフラ(ネットワーク化)が進むにつれ、管理社会化が顕著になるため、役割の専門化が進み、当然発信元も特定され、正規or想定内のデータしか流れなく&流せなくなるってわけですな。

なんか、ずいぶんと示唆に富んだ、荒涼たる未来像が笑えます。
たかだか100年や200年で、人間の営みの本質・・・音楽聴いたり、おいしいものたべたり、かわいい子に意地悪したりとかってのがなくなるとは思えませんけど・・・まあいいや。
なんか日記とはいえ、題材の選び方を間違えたかも。

 脳の研究

昨晩、酔っ払って寝ていたら、面白そうなテレビがあるから一緒に観ようといって子どもに起こされた。

どこの局のなんというタイトルかはわからないけど、脳みその探求みたいな番組で、唐沢寿明がナビゲーターをやっていたやつ。

その中で、イギリス人が都心上空から見た東京の風景を、数分で記憶し、30分後にホテルで写実的なスケッチに起こすというものがあったんだけど、そういえば2週間くらい前の午後すぎ、虎ノ門方面の上空でうるさいヘリコプターが15分くらい停止してたなあと思い当たる。まあ、そんなことはどうでもいいが、この番組は結構面白かった。

円周率やトランプの並び順を暗記する、記憶の天才と呼ばれる人が、実は独自の発想と訓練の積み重ねで成立していたとか、なんかやっぱ、人間ってすごいやあ、と感心。
一方で、事故で脳を患った人が、特殊な能力(記憶力や記憶忘却力?)を身につけた具体例も紹介されていて、バランスの調節が自在にできるようになるかもしれないなあなんてのも感じた。
最後の方で、一度聴いた音楽を、ピアノで再現できる能力を持つ、盲目の幼稚園児くらいの子どもが出てきた。(番組を鵜呑みにするならですが)彼はたった2回、知らない言語で歌われている知らない曲を、数日後に唄つきで再現した。

それ自体もすごいと思ったのですが、僕がもっとも新鮮に感じたのは、その子の唄に、感動をした自分です。
歌詞の内容も理解しておらず、悪く言えば、ただの『サルまね』なのに、歌が人を引き付けるというのは、どういうことなんでしょう。

以前、日光サル軍団の公演を見たことがあるのですが、そこでは学校の授業を模した教室セットの中で寸劇が行われていた。それは、サルが何かを伝えようと演技をしているのではなく、訓練をなぞっているだけだ。面白いな、珍しいなと思ったけど、そこに自分の思い入れを注ぐまでには至らなかった。

なんなんだろう。人間の創造性って。
たまに、ファンで集まって、スライダーズの曲でセッション~なんてのもやるけど、やっぱり、これはこれで、別モノとして、すばらしい時間を感じる。
きっと、この小さな子どもの歌から得た感動は、人間の根底にあるであろう、つながりのようなものを嗅ぎ取ることが出来たためなのかもしれないなあ、なんて思う。
人は響きあうし、影響しあう。
向き合った人がにこにこしていると、こちらもうれしくなる。
・・・ん? わけわからんくなってきた(笑)
まあ、脳の研究も面白いけど、それは器の研究だから、心のほうにも目を向けていけたらなあなんて思った次第。それだけの話なのですが。

ああ、今日は弁当じゃないんだ。
昨日のカレー屋に、細君が忘れたマフラーを取りに行かねば。

乱文失礼です。